【大沼秋一郎SS】健夜「あの、大沼プロですよね?」秋一郎「そうですが」

1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/29(土) 02:24:51.14 ID:GOBxeIjg0

健夜「……」

そちらから声をかけたくせに、
下を向いてもじもじして何も言わない。

別に珍しいことでも、不愉快なことでもない。
麻雀が好きでもないくせに俺の本ばかり読んで、
表紙にサインを求めてくる輩よりはうるさくなくていい。

ただ違うのは、

秋一郎「優勝、おめでとうございます」
健夜「あっ、ありがとうございます」

彼女が、公平に言って俺よりも強い雀士であり、
その時はまだ高校生だったということだ。

2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/29(土) 02:26:15.84 ID:GOBxeIjg0

パーティーには、その年の高校生大会の関係者が一同に会していた。

まるまる太った主催者、こずるそうなマスコミ関係者、
顔だけは良くできているアナウンサー、麻雀しかできない解説者、
パーティーに慣れておらずオロオロするしかない学生。

俺はシャンパンを片手に持って、静かなところで気配を消していた。
育ちが悪いせいか、こういうの苦手なんだ。
そこに小鍛治さんが声をかけてきた。

小鍛治さんは
(孫くらい年下の女の子に「さん」付けも無いだろう、
と思われるかもしれないが、俺にはしっくりくるので)
その年の優勝チームのメンバーだった。

健夜「あの、私、大沼プロのファンなんです」
秋一郎「ふぅん。麻雀の? それとも文章の?」
健夜「麻雀の方です」

3 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/29(土) 02:28:17.11 ID:GOBxeIjg0

秋一郎「へぇ、珍しいですね」

この言葉は本心だった。
私の麻雀のどこが好きなのだろう?
シニアリーグなんて、そういう名前の老人介護施設に過ぎない。

もう勝つのにも負けるのにも飽きてしまった死に損ないどもが延々ふざけているだけの、
ジョン・ケージも真っ青な実験雀荘というのがシニアリーグの実相だ。

数牌を一二三四…となるように捨てて、
九まで行ったら今度は九八七六…と捨てていったり
(手作りは完全に放棄している)、
国士十三面待ちから七対子を狙いに行ったり、
タンヤオのアスキーアートを本当にやってしまったり
(もちろんタンヤオとして扱われた)、
「中ビーム!」と叫びながら六筒を切ったり、
滅茶苦茶やってるうちに試合が終わって、
ああやっと終わった飲みに行こうぜとなるが、
だめだ俺来週検診だからガンマGTP下げとかないとじゃあねおやすみ、
ボクも最近痛風きつうなってしもてしばらくあきまへんねや、
カカアがとうとうボケちゃったみたいでさ心配だから帰るよ、
なんて調子だから結局みんなよい子で家に帰ってしまったり、
これはもう大学生の徹麻レベルか、
小学生のドンジャラかそれ以下だ。

4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/29(土) 02:29:30.55 ID:GOBxeIjg0

秋一郎「私の麻雀の、どういうところが、いいと思うんですか?」

だからこの疑問には全く他意はなかった。

健夜「……こう思うのって変かもしれないんですけど、
楽しそうなところがいいな……って」

楽しい…かな?

でも、麻雀をしているときの彼女は、
決して楽しそうには見えなかった。
あれだけ勝てれば、さぞ楽しいだろうに。何であんな苦しそうな顔するんだ?
と俺は思わなかった。

俺は小鍛治さんの麻雀から、勝つ事の苦しみを感じていた。

5 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/29(土) 02:31:01.75 ID:GOBxeIjg0

「すいません、小鍛治健夜さんですよね」
健夜「えっ、はい」
「あの、サインください!」

小鍛治さんは、その女の子から渡された色紙に、
自分の名前を楷書で丁寧に書いた。
女の子は小鍛治さんから色紙を受け取ると、
嬉しそうな顔をして、お礼をしてどこかに行った。

秋一郎「楽しい、か」

小鍛治さんはきょとんとして俺を見ていた。
昔からずっと、今のような痴呆麻雀をしてきたわけではもちろんない。
麻雀をすることが、そのまま生きることに直結していたギリギリの時もあった。

そうした日々のことすら「楽しい」だとか「楽しそう」だと思う?
できることなら、その時の俺と交代してあげたいよ。死ぬほど楽しいから。

小鍛治さんはいつの間にか居なくなっていた。
パーティーはまだ続くようだ。

また何もできなかった。でも俺に何をしてあげられるのか。
小鍛治さんにではない。「勝つ事の苦しみ」にだ。

6 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/29(土) 02:32:16.84 ID:GOBxeIjg0

小鍛治さんの麻雀や、小鍛治さんの表情から思い出していたのは、
この国の麻雀が賭博麻雀の厳罰化とプロリーグの設立により「浄化」される前の話だ。

俺は中学校を卒業してすぐに上京した。
麻雀しかとりえのない与太郎だった俺は、
東京に行けば麻雀で生活できるという噂にすがった。

噂は本当だった。
雀荘や鉄火場で麻雀を打つ以外の仕事を、俺はほとんどする必要がなかった。
毎晩、稼ぎを握ってクラブに行き、
スイング・ジャズに合わせて酒を飲みながら踊った。

7 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/29(土) 02:33:18.91 ID:GOBxeIjg0

そして俺は、麻雀により「安定した収入」を得ていた。

麻雀が上手なだけではダメだ。
全自動卓のない当時の雀荘で、
実力者が自分の力を最大限発揮すれば、まずイカサマを疑われる。
サマがないことを証明しても、今度は自分より強い人間しか打ってくれなくなる。
代打ちなどの危険な仕事が回ってくる。

だから、五回に一回くらいは相手に勝ちを回す。
いや、これだけでは不十分だが、
ある種の錯覚を引き起こすのだからいろいろややこしいのだ。
要するに、まあまあ強いが、勝てないことはない、と思わせる。

同じ目的の仲間とチームを組んで、点棒を分散させ見かけの勝ちを減らす。
米兵はとにかくツッパってくるからその鼻っ柱を叩けばいくらでも出てくる。
没落しかけの戦争成金をスッカラカンになるまでお相手してしまうと後で怖い。
サラリーマンはプライドが高いから、せめてオーラスはアガらせてやる。

そして彼女は、米兵でも、戦争成金でも、サラリーマンでも、
ましてや与太郎ではなかった。

いつも雀荘の隅の卓に一人で座っていた。

8 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/29(土) 02:34:26.41 ID:GOBxeIjg0

身なりはきれいとは言えなかった。
誰も近寄らないで、みんな見ないふりをしていたようだから、
おとなしめの気違いに風除けでもさせてあげてるのかと思っていた。

しかし、彼女もまた雀士だった。
彼女の卓に、米兵3人が面白がって着いたことがあった。
しばらくして、罵倒が聞こえてきた。
俺みたいな英語オンチでも分かるくらい汚いものだった。
でも彼女は全く動じていなかった。

そして米兵たちは札束を雀卓に叩きつけて、
肩を落として帰っていった。
彼らが俺の卓を通り過ぎたときに、
その内の誰かが “monster” と呟いたのが聞こえた。

俺は自分の対局を終えると、彼女に近づいていって聞いた。

「麻雀、強いの?」

彼女の答えは、その時は不思議に思えた。

「麻雀に強いも弱いもない。
必ず私が勝ってしまうから」

9 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/29(土) 02:35:44.33 ID:GOBxeIjg0

俺はそこらへんで暇そうにしている仲間を呼んで、
彼女と打ってみることにした。

「沼ちゃん、本当にそいつと打つの?」
「打つよ。絶対勝つっていうからさ、ちょっとやってみようぜ」
「やってみなくてもいいよ、俺こいつと打つの嫌だよ、気味悪いし」

渋る仲間たちをどうにか説得して打ち始めた。
必ず勝つなんてありえないからって。

彼女はサマを使ってなかったし、俺も仲間も全力を出した。
でも、彼女から一度も一位を取れなかった。
ムキになってもう半荘、もう半荘と続けていたら朝になっていた。

「徹夜で麻雀だなんて、久しぶりだな」
「そう」

俺の呟きに、彼女は答えた。

「私もよ。私とは、誰とも打ってくれないの」

10 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/29(土) 02:37:25.11 ID:GOBxeIjg0

それから、彼女と時々打つようになった。
もちろん賭けはナシだった。
彼女と打っている間は、
金ではなく勝つための麻雀を打つことができた。

打っていると、時々歯ぎしりのような音が聞こえた。

ギリリ ギリリ ギリリ

それは、彼女が大きい手をアガるときの合図だった。
それが聞こえる前に、どんな手でもいいから上がる。
今ならまた違うが、当時は彼女にアガらせないことで精一杯だった。

11 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/29(土) 02:39:00.84 ID:GOBxeIjg0

ギリリ ギリリ ギリリ

この音が一体何の音か、仲間に聞いてみると、
みんな変な顔をした。

「さあ、そんな音一切聞いたこと無いけど」
「いや絶対してるって。何か秘密があるんだよ」
「沼ちゃんさ、あの娘に惚れてんの?」
「は? 何で?」
「いや、恋愛の幻想がもたらす幻聴の可能性があるじゃない」

恋愛の幻想がもたらす幻聴が、歯ぎしりの音な訳ないだろ。
でも、その音が聞こえるのは本当に俺だけらしかった。

ギリリ ギリリ ギリリ

「あのさ、そのギリリって音何?」
なんて直接は聞けなかった。
麻雀をしてる時の彼女の顔は、苦しそうで、それがセクシーだともいえた。

12 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/29(土) 02:40:10.58 ID:GOBxeIjg0

いつのまにか、彼女の卓には普通の客も付くようになっていた。

俺を含むまあまあ強い常連たちが、
うわー勝てねー、とか、
どうなってんだよこれー、とか、
ギャアギャア騒いでいたことにより、
彼女が気違いではなく雀士であることが知れ渡ったのだ。

もちろん、客は顔を真っ青にして帰っていくのだが、
彼女の懐は暖かくなって、
服装も髪型も化粧もアクセサリーもどこのお嬢かという感じになった。
それがまた客を惹きつけた。

そして、彼女を上回る恐ろしい人々が現れた。
米兵でも戦争成金でも、ましてやヤクザでもない。
金持ちのサラリーマンだ。

13 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/29(土) 02:41:05.19 ID:GOBxeIjg0

高度経済成長の始まったばかりの頃、
電器会社か建設会社の入社七年目か八年目でそれなりの地位につき、
麻雀以外の遊びも知らなければ、
彼女を間接的に扶養するのは難しいことではなかった。
彼らは顔を青くするどころか、少し火照らせてごきげんに帰っていった。

彼女は無口で、とても美人とは言えなかったけど、
当時、麻雀は男がやるもので、役満を大量に女からアガられるというのは、
その種の人々のマゾヒズムを刺激したというのもあったと思う。

ちなみに、俺はマゾヒストではない。
彼女と打つときは賭けていなかったのだから。

14 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/29(土) 02:42:09.96 ID:GOBxeIjg0

見た目は良くなっても、例の音は聞こえ続けていた。

ギリリ ギリリ ギリリ

これが聞こえたら、とにかく手を急ぐ。
俺のできることはこれくらいだったが、効果はあった。
どうにかこのスタイルを身につけると、数回に一度は、一位が取れるようになった。

「負けちゃった」

彼女は負けると決まってそう言って、
もう半荘する? と聞きながら微笑んだ。

ギリリ ギリリ ギリリ

何かが軋む音。
苦しそうな顔。

15 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/29(土) 02:43:42.87 ID:GOBxeIjg0

ある日、雀荘に行くと彼女は、
いつにも増しておめかししていた。
まるで、

「電気にぶら下がったらシャンデリアの代わりになるんじゃないか」
「やめてよ、私ホタルイカじゃないわよ」
「知ってるよ、どうしたの」
「パパが迎えに来るの」

よく見ると彼女のお腹は少し膨らんでいた。
俺は、本当に彼女のギリリしか気にしてなかったのだなと思った。

しばらくして、彼女の「パパ」が迎えに来た。
「パパ」はあのサラリーマンのうちの一人だった。
そいつに手を引かれながら彼女は、またどこかで、と言った。
それから一度も会っていない。

16 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/29(土) 02:45:26.76 ID:GOBxeIjg0

彼女がいなくなった日、
その日の稼ぎを手に、いつものクラブに行ったが全く踊れなかった。
いくら飲んでも全く酔えなかった。

ギリリ ギリリ ギリリ

今だからわかるけれど、ギリリという音を聞くたび俺は焦ったんじゃない、辛かったんだ。
彼女の中の何かがきしんで壊れてしまうような気がして不安だったんだ。
その音を注意して聞いていたのは勝ちたかったからじゃない。
どうにかしてその音を止められないかと思っていたんだ。
あの音は、本当は俺の中からしていたのに。

17 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/29(土) 02:46:09.46 ID:GOBxeIjg0

俺は馬鹿だから麻雀しかできない。
そして、麻雀でどうにかできると盲信していた。
しかし、実際に彼女を救ったのは麻雀ではなく……
とにかく麻雀ではない何かで、
それは俺がどれだけ努力しても差し出せないものだった。

ギリリ ギリリ ギリリ

「勝ってしまう」ことで引き起こされる苦しみを消すには、
勝負から降りるしかない。

俺は全く酔っていないのに激しく嘔吐し、
クラブの床に座りこんで、大音量の中で眠ってしまった。

19 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/29(土) 02:47:44.04 ID:GOBxeIjg0

小鍛治さんに続いて、彼女に匹敵する強さを持った選手たちが、女子麻雀界に現れた。

三尋木吟、藤田靖子、戒能良子、野依理沙。
そして瑞原はやりは歌手まで兼業している。

健夜「私が一番年上みたいに言うのやめてください!」
秋一郎「小鍛治さんは、充分若いと思いますよ」
健夜「そうじゃなくって、瑞原プロは私の一学年上です!」

失礼。瑞原プロもごめんね。

健夜「今は指導者をされていますが、赤土晴絵さんも、まだ注目選手です。
きっともう一度プロに来てくれるはずです」

へぇ、そう。

健夜「あの、ところで……聞こえますか?」
秋一郎「何が?」
健夜「私の中から、その、ぎりりっていう音」

21 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/29(土) 02:49:31.89 ID:GOBxeIjg0

秋一郎「……」
健夜「……」
秋一郎「……いや、あれは対局中に聞こえたって言う話だから」
健夜「でっ……ですよねー……」

でも、もう無いんじゃないかな。「勝つ事の苦しみ」なんて。
最近たまに負けてるでしょ。世界ランキングの一桁台って、大変だよね。

健夜「えぇ、まあ、もう世界ランキングも900位くらいですし……」
秋一郎「あの、俺が言うのもなんだけど。…良かったね」
健夜「……はい」
秋一郎「悪くないでしょ? 負けるのも」
健夜「そうですけど……今度は『勝てないことの苦しみ』との戦いですが…」

俺は大笑いした。
間違ってもインタビューなんかでそんなこと言わないほうがいいですよ、絶対恨まれますから。

22 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/29(土) 02:51:08.23 ID:GOBxeIjg0

恒子「あっ、あんなところにいた、すこや~ん!」
秋一郎「すこやん?」
健夜「ああ気にしないでくださいこの人が勝手に呼んでるだけなんで……」
恒子「次の試合はじまるよ! あ、大沼プロだ!」
秋一郎「はじめまして。大沼です」

走ってきたのは、どこかで見たと思ったら、テレビのアナウンサーだった。

恒子「ファンなんですよ、後でサインください」
秋一郎「いいですよ」
健夜「やめなよこーこちゃん」
恒子「実は私、昔大沼プロに会ったことがあって、うわわ押さないで、すこやん」
健夜「もー素人さんじゃないんだから、大沼プロ、失礼します」
秋一郎「ああ、いってらっしゃい。がんばれよー、すこやん!」

彼女は恥ずかしがりながら、アナウンサーにからかわれながら、
次の試合の解説に向かっていった。

23 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/29(土) 02:52:32.48 ID:GOBxeIjg0

終わりです
大沼プロに萌え禿げた結果地の文多めになってしまいましたごめん

24 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2012/12/29(土) 02:53:48.76 ID:TQwviVsj0

乙乙
大沼プロSSとかすばら

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする